2017919日マタイ6:25-34「心配は無用」

 

今日お読みいただいている聖書の箇所は、前回の「主に心を向ける」「天に宝を積む」に続き、主なる神のご支配を求め、信頼するとき、心配は無用であると、その根拠をイエス様が教えてくださっている箇所です。また多くの励ましを受けます。

 

ところで、皆さんにとって何か一番に大切ですか?

例えば、先日東京の小田急線の電車に火事の炎が燃え移った映像をみてビックリしましたね。その前は羽田からニューヨークに向けて出発した飛行機のエンジントラブルでの出火の映像も驚きでしたが、そのような状況にあったら、どうしますか?

201598日英国航空機が、ラスベガスのマッカラン空港を発ってイギリスに向かおうと離陸しましたがエンジンから出火し、離陸を中止。結果として胴体のフレームを残して全て焼けてしまったのです。それも驚きですが、機内ではもっと驚くべきことが起こっていたのです。どんな事かというと、「避難して下さい」とアナウンスがあると、すぐに人々は自分のラッゲージからカバンを降ろし始めたのだ。乗客は危険を冒してでも自分のカバンが欲しかったのです。幸い奇跡的に死者を出すことはなかったのですが・・・。

アメリカ合衆国の連邦航空局では「乗客は長くても1分半以内に避難しないと死にます」と言っています。「カバンを降ろすために1人につき5秒、避難が遅延します。なぜならラッゲージを開けるのに時間がかかり、また人々はカバンを抱えるので、避難に時間がかかるからです。乗客が170人であるなら、全体で7分がよぶんにかかり、避難時間は8分半になります。その時には、機内はガスで充満しており、焼ける前にすでに死体となっているのです」 

その時の事故対応をしたベテランパイロットの一人は次のように言っています。「人間は、いつも自分本位に動こうとする。それ故に不幸にも、自分の命よりもカバンを愛する行動をとるのですね~」みなさんは何が一番大切ですか?

 

今日の聖書箇所より、受け取るべきメッセージ・・・。

まず25節から32節から受け取るべき神様のことばは、

①すべてを造られた主なる神様が養って下さる。だから衣食住よりもっと大切な「いのち」を主が与えてくださっているので、私達の必要をも与えて下さる主なる神に信頼しなさい。 

私達は空の鳥や野の花よりも優れているのだから、私達を必ず養ってくださる。だから心配するのは、主を信頼していない事になるので、「信仰の薄い人達」とイエス様はいさめておられるのです。

②心配しても問題解決にはならない

③天の父なる神様は、衣食住が私達にとって必要なのはご存じだから、そのために配慮してくださる。

だから、33節「神の国とその義をまず求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」とおっしゃってくださいました。

「神の国とその義」とは何でしょうか? 私達が神様に信頼し、神様のご支配の中に生きる喜びを見出すこと、そしてその義とは神様の御心に従う事です。

 旧約聖書の申命記281節から13節には、主の御声に従うなら、全てにおいて祝福すると書かれています。同様にイエス様は「その事を心から求め続けなさい、そうすれば、私達の衣食住だけではなく、それ以上のものが与えられる」と約束してくださっているのです。ぜひ、申命記281節から13節をゆっくりお読み頂きたいと思います。

 

そして今日の箇所の34節「あすの心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に十分あります」と、今日という一日を、心を主に向けて生きなさいと励ましてくださっているのです。

聖書の中に「心配するな」「思い煩うな」と何度も何度も出て来ます。それだけ、私達人間は心配しやすい弱さをもっているのです。今日お読み頂いている聖書箇所で、何回「心配するな」と出て来るでしょうか? 

パウロの書いたピリピ人への手紙4章6節には「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」と書かれています。この箇所を通して, 私達のすべての必要や思い煩いは心配する代わりに、神様に祈りをもってゆだねる必要がある、と教えているのです。

 

では、どうすれば心配する事に打ち勝つことができるのでしょうか? 第一ペテロの手紙5章7節「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」と命令文で書かれています。

神様は、私達が心配事や思い煩いなどの重荷を抱えて生きる事を望んでおられません。神様は私達に起こる全ての事を気にかけて下さっています。私達が抱えているどんな大きな問題でも、神様には大きすぎることはないし、どんな些細な心配事でも神様にとって小さすぎるということはないのです。私達が神様に問題をゆだねる時、神様は私達の全ての考え、思いに勝る大きな平安を下さる、と約束しておられます。だからといって何もしないで良い、という事ではありません。しっかりと信仰をもって、一日一日を丁寧に感謝をもって、生きる事・働く事を励ましてくださっているのです。

 

まだ中国が「清」と呼ばれていた時代、中国の奥地に福音を伝える働きをしたハドソン・テーラーは「中国奥地宣教協会」を設立しました。現在OMF(Overseas Missionary Fellowship)と呼ばれ、日本を含む特にアジア人に向けた宣教団体です。

OMFが中国奥地宣教協会だった頃、その教会団体を通じて宣教師として出ていく人々に、生活に必要な決まった額の支給の約束はしませんでした。それはこの団体が経済的に貧しくて支援の約束が出来ないのではなく、大きな意味があるのです。

神の働き人として、例えば遠い中国の奥地に入って福音を伝えるということは、並大抵のことではないからです。真に神にだけ信頼する者以外は、宣教地に遣つかわせられないからです。この「神のみ」という信頼の関門をくぐった宣教師は、その後どんなことがその地で起 こっても、一緒に働く同労者と一致して、宣教の戦いを戦い抜くことができるのです。  

ヨハネの福音書141節「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、また私を信じなさい」とイエス様はいつも私達に声をかけてくださっているのです。

 何かをする時、「すべてがそろってからやってみよう」ではなくて、「今はなにもないけれど、神様が備えてくださるから一歩歩み出してみよう!」という信仰が大切なのです。

 

 ある時、中野雄一郎先生がハワイで不動産を営むある方に「人事を尽くして天命を待つではなく、天命に(やす)んじて人事を尽くさん!これでいくべきですよ」と言ったそうです。その方はその言葉を紙に大きく書いてオフィスの壁に貼り付けて、毎日読みながら神様の祝福を信じ続けたそうです。

 借金取りから電話がかかってきても「ありがとうございます。今日もいい日ですから、仕事がきっとうまくいきますよ。私も努力をしていますから」と明るく元気に対応したときに、

相手は返済の催促を忘れたそうです。

 またある時は、その方の会社に「来年ハワイに土地を買いたい」と電話があった時は「今年中は安く買えますよ」と言ってハワイに来るための航空券を、問合せをしてきた方に送ったら、即決で契約がとれたそうです。

 その秘訣を彼は「何をするにも神様の恵みに感謝し、大きな祝福があると確信して進んでいく事です。こうなったら良いなぁ、ではなく、もうすでにこうなった、と信じて歩み出すと、必ず主は応えてくださるのです」 私達もこのようでありたいと思いませんか!?

 

 皆さんの信仰生活を助ける聖書の言葉が、たくさんあると思います。置かれている状況で助けられる言葉をたくさん心に蓄えておくと良いですよね!

 今日も信仰をもって、新しく出発進行しましょう!

 お祈りします。