2017年1月28日創世記44章「身代わりに」
1月・2月は受験シーズンの真っ最中ですね。ネットで話題になっていたのは、センター試験で一番難しかったのは、問題冊子があまりにもピッタリと封がされていて開けることが困難だったと話題になっていました。まぁ不正防止という観点でしょうか?
同志社大学を創立した新島襄さんに有名なエピソードのひとつとして「自責の杖」というのがあります。カンニングをした学生を責めるとき、新島襄さんは「私が悪い」と言って、いきなり持っていた木のむちで自分の左の手のひらを打ち始めたそうです。むちは折れ、手のひらに血がにじみました。それを見た学生たちに感動が走ったことは言うまでもありませんが、その行為によって学生たちはカンニングがいかに重い罪であるかを知る事が出来たのです。同様に、私達もキリストの十字架に出会って、初めてわたしたちの罪の深さを知ることが出来たのです。その十字架の愛を思いながら、今日の聖書の御言葉より恵みに与りたいと思います。
ヨセフは兄達が本当に変えられたの、悔い改めているのかを確認する最後のテストを課しました。ヨセフの出した課題は1節から4節にある通りです。
ヨセフは管理人に3つの事を命令しました。まず兄弟達の袋を運べるだけの食糧、つまり代価以上の食糧で満たす事、二つ目は持ってきた銀をそれぞれの袋に返す事、三つ目は銀の杯をひそかにベニヤミンの袋に入れる事でした。
そんなことがなされているとは知らない兄弟達は、意気揚々と故郷カナンの地に向かったのです。そして管理者に兄弟達の後を追わせて、「なぜ、あなた方は悪をもって善に報いるのか!?」と濡れ衣を着せます。それも大切な銀の杯、エジプトではまじないに使うと言われる特別な銀の杯を盗んだのではないか、と罪の重さを強調するために大げさな演技を管理者はしました。
兄弟たちは、当然、驚愕します。6節から9節です。「決して盗んではいません、ましてや前回は支払ったつもりで帰って来た銀でさえ今回はカナンから持って帰ってきたではありませんか。万が一、その銀の杯が自分達の誰かから見つかったとしても、どうぞ殺さないでください。命だけは助けてください。ご主人様の奴隷となりますから」と申し出ました。管理者は「お前たちの言う通りにしよう」と同意しました。
11節12節は取り調べの様子です。年長の兄から荷物検査が始まりました。心がはちきれんばかりにドキドキですね~。緊張感が高まる中、末っ子のベニヤミンの袋が明けられると、その銀の杯が見つかりました。当然、仕組んだ管理者はわかっていますから、そうとう上手な演技をしたのでしょうね~。そして兄弟達の反応を見ると13節にあるように着物を引き裂きました。これは驚愕、悲しみ、絶望の表現です。そしてロバに荷を負わせ町に引き返しながら、同然末の弟ベニヤミンにどんな罰が下るかを心配したのです。カナンで待っている父イスラエルの事を思うと、ベニヤミンをエジプトに残す事は出来ない、そんな事をしたら父は悲しみのあまり死んでしまう、という不安がいっぱいでした。
そんな中でヨセフは14節にあるように、兄弟達が戻って来ることは想定内ですから、家で待っていたのです。そしてユダと兄弟達はヨセフの前で顔を地に伏せました。ヨセフの見た夢の成就です。
ヨセフが、ユダと兄弟達を試す演技が続きます。15節でヨセフが言った事をリビングバイブル訳でみると、こうです「いったいあなたがたはなんてことをしてくれたのだ!盗みをすればすぐにわかるのだぞ!」それに答えたユダの言葉16節で「神がしもべどもの咎をあばかれたのです」と語ります。兄達がヨセフへの嫉妬ゆえに売り飛ばしたあの罪ゆえに神がこうされたのだと、自分たちの罪を認め、そしてベニヤミンだけではなく全員が奴隷になると申し出たのです。
兄弟・家族だけでなく、人が集まれば、どんなところにも問題が生じます。それについてパウロはコリント人への手紙第1の4章5節でこう言いました。「あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです」そうパウロが言ったのはユダや兄弟達に問題があったように、コリントにある教会にも問題があったからです。どんな問題かというと分裂でした。ある人々が「私はパウロ先生につく」またある人は「わたしはアポロ先生がいいと思う」またある人は「私はケパ先生につく」という問題でした。そこでパウロは4章1節で「自分たちはキリストのしもべ、神の奥義の管理者だと考えなさい」と、いったい自分は何者なのかを改めて考えなさいと言いました。パウロを非難する人はたくさんいました。なぜならパウロはクリスチャンを非難し迫害してた者だから、「後からクリスチャンとなったくせに・・・!」という批判があったからです。しかしパウロは「私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません」つまり「当初は人の批判を気にしていましたが、今は気にしなくなりました。ましてや自分で自分の事は判断しません、なぜなら評価は神がしてくださるからです」と言っているのです。私達の評価は、失敗した事、罪を犯した事ではなく、もうそれは十字架で完了しているので、大切なことは「どのくらい主に忠実に歩めたか」なのです。ですから、「評価をするのは神である」という事を覚えて頂きたいと思います。誰かを評価・批判したくなったら、「自分はいったい何者なのか」と立ち止まって考える必要があるのです。
さて、ヨセフの試みは続きます。17節でベニヤミンだけ奴隷として残して、あとは罪がないのだから故郷に帰って良いと言いました。これは兄達がベニヤミンを見捨てて故郷に帰るかどうかを試しているのです。ぐっと涙をこらえてのテストでした。
18節以降はユダが兄弟達を代表して、捨て身で、命をかけて執り成しています。自分達が正しいと主張するのではなく、今までの成り行きを順序立てて話、ただただ憐れみを乞うたのです。ユダがすべてを負うと言ったその理由は32節から34節です。
「末の弟ベニヤミンを連れ戻さなったら、父が死んでしまう、そんなことはしたくないし、見たくもありません。私が身代わりになりますから、どうかどうかベニヤミンを返して下さい」ユダが心から悔い改め、犠牲を払う愛をここに明らかに見る事ができます。
兄弟達に課せられた試みは、すべてを最善にするものでした。
神の最善について、パウロはローマ人への手紙8章28節で「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」と言いました。こう言った前提18節「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます」、いま苦しい状況にあっても大丈夫、イエスにならう者とされるという祝福にあずかる事が出来るのは、31節32節 「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」ここに神の愛、イエス様の十字架の贖い、つまり罪の中にいた私達を救い出し、神の赦しを受けるように、聖くし、義と認め、自由と解放の中に生きる恵みの喜びがあり、神の子とされるのです。 十字架の愛を思い出す時、その愛がおひとりおひとりを生かし、満たすのです。
その愛に救われ、人生を変えられた方を紹介します。お名前は井田 典子さんです。
最近、彼女は「スーパー主婦」として「NHKあさイチ」などで活躍していますが、ご実家は広島で浄土真宗を熱心に信仰するご家庭で育ちました。ある時彼女のお母様が、クリスチャンのジャーナリストで教育者の羽仁ともこさんの立ち上げた「友の会」に所属するようになり、その影響でお母さまは典子さんをカトリック系の幼稚園、大学に通いました。
その時は学校とその友の会を通してキリスト教に触れましたが、学問のひとつだと思っていたし、自分の道は自分で切り開くのだ、と考えていたそうです。
やがて結婚し、子供を望みましたが何年たっても授からず、苦しい不妊治療を諦めかけていた時になってようやく与えられ、その時は『神様、ありがとう』と思い、命は人間の力ではどうしようもない、神秘的な力を感じたけれど、日々の忙しさにその感謝は薄れていきました。そうして生まれた長男が中学3年になった頃、勉強も、部活のテニスも頑張っていたのにも関わらず、突然不登校になってしまいました。息子さんは、周囲の期待に応えようと努力していましたが、中学生最後の公式戦に向かって練習している中、腰椎剥離になり、それでも試合に出たものの、痛みで敗退。その挫折と屈辱で、その日を境に学校に行かなくなり、髪の毛の色も染めて、耳にピアスを開けて、まるで別人のようになってしまったのです。
典子さんは、自分の息子さんが不登校や不良になるまで、「その親はいったいどんな親なんだろう」と思っていた自分を恥ずかしく思い、「人は些細な事で変わってしまうんだなぁ」という事に気づいたそうです。典子さんとイエス様の出会いについて、こうお話ししています。「自分は息子にとっては怖い母親でしかなかった、母親として一生懸命やっていたけれど、息子の気持ちを理解せず、息子にいい子を演じさせていただけでした。家を出たら、いつ帰宅するかわからない息子を待っている日々、やるせない心を家の片づけに向けるようになりました。そんな中2010年に友の会代表となり、重い責任と、未熟な自分ゆえに起きる人間関係の問題に疲れていながらも、役割としてその年の友の会恒例クリスマス礼拝にお招きする牧師を探して講演依頼をする必要があり、近隣の教会を訪ね回りました。何件か回りたどり着いた最後の教会は、牧師の家を解放して礼拝をもっている小さな教会で、そこの礼拝メッセージを聞いた瞬間、この教会に来るために導かれたという思いが沸き上がってきました。息子の事、友の会のことなど自分で頑張ろうとし、どうしようと悩む自分から、神様どうしたら良いでしょうか?と神様に聞き、祈る事が出来る事を知って、心の重荷を神様の前に降ろす事が出来る、その喜びを知った時、涙が止まりませんでした」
典子さんはイエス様を信じ、次の年2011年のイースターに洗礼を受けました。2011年のイースターは東日本大震災の直後です。すべてが混乱している中で、信仰を持ち、変えられた典子さんは、その混乱の中で神様の恵みを感謝し、時間やお金の使い方を神様の喜ばれる使い方に変えようとした結果、今「スーパー主婦」としての活動を通じて、主に仕える喜びが溢れているとおっしゃっています。
イエス様の恵みと愛が私達にも注がれています。それを味わいながら、喜び溢れる信仰生活を歩みましょう。