2016年5月28日 創世記22章「主なる神に従う祝福」
今日の箇所から私達はとても大切な事を学ぶ事ができます。それは従う、捧げる、礼拝する、主が備えて下さることへの信仰、主の祝福を受ける事です。まず神の声、命令に従う事。たとえそれが試練と思われる事であっても、です。私達の信仰は、試練を通じて強められるのです。
また22章の出来事は、イエス様が私達の罪のために贖いの供え物の小羊として十字架を背負われた事のひな型にもなっています。
1節「これらの出来事の後」とは、イサクの誕生、イシュマエルの追放、アビメレクとの契約の後の事ですが、この22章の出来事は6節「アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った」から考えると、イサクはたきぎを背負えるほどの青年になっていました。21章と22章の間はその位の時間が経っていました。
そして神はアブラハムを試練に会わせられたのです。これはアブラハムが本当に神の約束と愛を信頼するかのテストです。神が「アブラハムよ」と呼びかけられと、彼は「はい、ここにおります」と応答していますから、アブラハムと神の関係はしっかりと築きあげられていました。
2節で神はアブラハムに「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを捧げなさい」と命じます。2節での神とアブラハムのやり取りをユダヤ教のラビの言い伝えではこうなります。
神が「あなたの息子をつれて」というとアブラハムが「わたしには2人息子がおります」と答えます。すると「ひとり子だよ」と神が言うと、アブラハムは「それぞれが母親にとってはひとり子です」と答えます。神が「あなたの愛している子だよ」と言うと、「わたしは二人とも愛しています」すると神が「それはイサクだ、イサクを捧げなさい」と言うと、アブラハムはしばらく沈黙しました。神はアブラハムにとって最も大切なものを捧げるようにと要求したのです。
やっと与えられた待望の子、大切に育ててきた我が子を捧げなさいといわれたら、どうでしょうか? もしくはみなさんの一番大切にしているものを捧げなさいといわれたら、出来るでしょうか? アブラハムも恐らく心の中で「どうしてですか?」と疑問を抱いたに違いありません。
「なぜ、神が与えて下さった 愛する子を捧げなさいといわれるのか?」「星の数ほどになると言われた子孫の祝福の約束はどうなるのだろうか?」
それでもアブラハムは神の命令に従って、次の朝早くにロバに鞍をつけ、全燃のいけにえのための薪を割り、2人の若者を同伴で神が示されたモリヤの地へと出かけます。モリヤの地にある神の示された山は後にソロモンが神殿を建設する山であり、シオンの山現在の神殿の丘と呼ばれている所です。ベエル・シェバからモリヤまでは約100KMの距離、3日かかりました。
そして5節アブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ロバといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る。」と言った。とあります。これはアブラハムの信仰の言葉です。神の声を聞いたときに疑問が湧いたかもしれない、けれどその声に従いました。それには今まで築いてきた神との関係があるので、信仰をもって「あなたがたのところに戻って来る」と言えたのでしょう。神がイサクを復活させてくださるという信仰があったに違いありません。このアブラハムの信仰をパウロはヘブル人への手紙11章17節から19節でこう言いました。「信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」と言われたのですが、彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です」
「これは型です」とは「薪を背負い歩くイサク、火と刀をもって歩く父アブラハム。ふたりはしばらく沈黙の中モリヤの山まで歩きました。それはイエス様が十字架を背負いゴルゴダの丘を歩まれるお姿の事」です。イザヤ53章はイエス様の十字架についての預言ですが、その10節「彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる」とあるように、全焼のいけにえのための薪を背負いモリヤの山へと歩むイサクと十字架を背負われたイエス様が重なります。
7節イサクがとうとう口を開きました。「お父さん、薪もあるし、火打ち石もあるけれど、いけにえにする子羊はどこですか?」それを聞いた父アブラハムは「ドキ!」としたでしょう。8節「我が子イサク、大丈夫だ。神様がちゃんと用意してくださるよ」
また沈黙の中歩き進める二人です。神の示された場所に来ました。アブラハムは祭壇を築き、薪を並べ、イサクを縛り上げ、祭壇の上に横たえ、刀を握りしめ、その手を高く振り上げ、息子イサクをめがけて刀を振り下ろそうとした、まさにその時、主の使いの声が天から響いたのです。
「アブラハム、刀を置きなさい。その子に手を掛けなくても良い。あなたが何よりも神を第1にしている事がよくわかった。最愛の息子でさえ捧げようとしたのだから」その声を聞いてふと見ると雄羊が一頭、木の枝に角をひっかけて、もがいていたのです。神がいけにえとして与えてくださったのだと思ったアブラハムは、その場所をアドナイ・イエル「主は備えてくださる」と呼び、今でもそう呼ばれています。
信仰のテストに合格したアブラハムは16節から18節に書かれているように大きな祝福を受けるのです。そしてイサクも父の信仰を受け継いでいくのです。青年になったイサクですから、祭壇に横たえられた時には反抗できたはずです。しかし父を主なる神を信頼して従いました。イサクはこの時に自分は死んだと覚悟していましたが、主なる神によって生かされました。それはイエス様の復活を表します。私達もイエス様を信じて救われ、新しい命をもって生かされています。
ちょっと考えてみましょう、いまの自分が一番大切だと握りしめているものはなんなのか?
いま、私達はこうして集まって礼拝を捧げています。以前は、土曜日の午前中はなにかの用事があったかもしれないし、自分で自由に使っていた時間かもしれません。時間は見方を変えれば、私達のいのちです。そのいのちの時間を神にお捧げしているのです。献金もそうです。今までは自分があるいは夫が、家族が稼いでいるお金ですから、それなりに自由に使っていました。けれど、全ては神様から与えられていると知ったとき、その十分の一を神様にお返しする、神様の御用のためにお使いくださいと献金として捧げています。お金も見方を変えれば命です。命の時間を使って手に入れる事の出来たものです。その命も神様が与えて下さっている恵みなのです。私達も「主は備えて下さる」という信仰を持って歩みましょう。神様に捧げる時間もお金もすべて備えて下さるのです。ローマ人への手紙12章1節でパウロはこう言っています。「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝です」礼拝は私たちの全てを献げる、全てを委ねる事です。そして献げ物については、「各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである」と第2コリント人への手紙9章7節にある通りです。
何よりも、神は私達の存在を喜んでくださっているのです。パウロは自分を「注ぎの供え物」と第2テモテ4章6節で言っています。私達は土曜日や日曜日の礼拝の時間だけが礼拝ではなく、
生きた供え物となるように、礼拝を生活の一部として取り入れる習慣を身に着ける必要があります。
礼拝とは与える事です。よく、今日のメッセージで恵まれたとか、なにも得なかったとか、
あるいは今日の説教者は何回言い間違えたとか数える方がいますが、礼拝は心から神に栄光を帰す事が出来たのか、です。祝福は、礼拝の答えとして神から与えられるのです。今日の礼拝は
神に喜ばれているでしょうか? 神に栄光をお返ししているでしょうか?
神に栄光をお返しする方法は詩篇50篇23節「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」とある通りです。感謝を捧げるのです。ヘブル13章15節「私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか」とパウロが言っているように、私達は主なる神への賛美、感謝をいつでも、どんな時でも捧げましょう。それが、私達が神の作品として造られた目的です。
神から捧げなさいといわれると、私達はそれを失ってしますかもしれないと恐れますが、捧げたものがやがて何倍にも大きくなって私達の元に返ってくるために、捧げさせられたと気づくのです。
このような礼拝の姿勢と信仰を私達は持ち続けたいと思います。
今日の聖書箇所20節から24節でナホルの息子達の事が書かれています。イサクを捧げたアブラハムの信仰が試され、祝福された後、遠くに住む親せきナホルから嬉しい知らせが届きました。
その事は後に年頃になったイサクの妻リベカがどのような系図から出てくるのかについてです。
主なる神のご計画は私達の思いをはるかに超えています。必ず必要を備えてくださる神であることを覚えて、私達の人生を主に委ねましょう。
箴言16章3節「あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない」「アドナイ・イエレ主の山には備えあり」です。
イエス様はルカの福音書6章38節で「与えるという事」についてこう教えています。「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」主が備えてくださるので、与える事ができます。また与える事で、与えられるのです。
最後にクリスチャンの方を紹介します。皆さんは「あんパン」「クリームパン」など甘いものがお好きですか? 新宿中村屋のお菓子やカレーを食べたことがあると思いますが、新宿中村屋の創業者は相馬愛蔵さんという方です。1870年明治3年長野県安曇野市の農家に生まれました。勉強は数学が得意でしたが英語が苦手で、地元の学校を3年で中退してしまいました。その後上京して、東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学しました。17歳の頃、愛蔵さんは友人に誘われて、牛込市ケ谷の牛込教会へ行くようになりました。そして洗礼を受けクリスチャンとなりました。東京専門学校の卒業後は、人に雇われることを嫌って北海道の札幌農学校へと進み、養蚕を学びました。一時は北海道で養蚕で頑張ろうと夢見るも断念し帰郷しました。故郷で明治24年に、蚕種製造を始め、それについての本を出版したり、クリスチャンとしての活動として22歳の時明治24年に禁酒会の創立や、芸妓を置く計画に反対し、廃娼運動も行ないました。さらにはこの時代の中で孤児院基金募集のため仙台へ出掛け、仙台藩士の娘でありクリスチャンの女性と知り合い明治31年に結婚しました。その後、奥様の健康が損なわれ、療養のため上京することになったのです。その後、明治34年東大赤門前のパン屋、本郷中村屋を買い取り、パンの製造を始めました。明治37年には、日本で初めてクリームパンを発売しました。さらに明治40年に新宿に移転した後、商売は大繁盛するにいたりました。さらに中村屋は日本で初めてインド式カレーライスを販売し、大人気となって行きました。
クリスチャンとしての愛蔵さんはパン屋としてだけではなく、日本文化へ大きな影響を与えました。愛蔵さんは店の裏にアトリエをつくり、多くの芸術家に使わせていました。現在は中村屋サロン美術館となっています。大正4年にインドの独立運動家ラス・ビハリ・ボースがイギリス政府に追われ日本に亡命して来ましたが、一時日本政府にも追われていたラス・ビハリ・ボースをかくまったのが愛蔵さん一家でした。後にインドより亡命してきたボース氏は相馬夫妻の長女と結婚。大正12年、日本国籍を取得し、ボースの指導によって中村屋のインドカレーが誕生したのです。
愛蔵さんの愛の行為はさらに続きます。関東大震災の時、中村屋は神様の守りがあって被災を免れました。震災に乗じて全ての食料が軒並み値上がりしましたが、愛蔵さんは、パンや菓子を普段よりも1割ほど安くして販売しました。彼は命が守られた者として、パンなどの製造を続けたといいます。『奉仕パン』『地震饅頭』などと名前を付け販売し、そのような姿勢にお客さんたちが感動し、震災後は大きく売り上げが伸びたといいます。
相馬愛蔵さんは、多くを得て多くを与えた人であると思います。私達の人生も日々の礼拝を通じて、イエス様の愛を表す者でありたいと思います。
そのためにも主なる神に従う祝福に、わたしたちも預かり、アドナイ・イエレ「主の山に備えあり!」の信仰を持ち続けましょう!